評論等 物質運動戦略の集大成としての遺伝情報

老化と寿命
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老化と寿命
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 日本は世界一の長寿国で、平均寿命(その年に生まれた人があと何年生きられるかの平均値))は男性は77歳、女性は84歳を越えています。明治24年〜31年の日本人の平均寿命は男42歳、女44歳、昭和22年でも男50歳、女54歳だったといいますから明治以来の100年あまりの間に大きく寿命が延びたことになります。これには乳児の死亡率が減ったこと、衛生状態や栄養状態の改善、抗生物質の発見など医療の進歩が影響したと考えられています。もっと以前はどうだったかというと、ヨーロッパにおいては18世紀以前にはあまり寿命の変化はなかったようで、ジョン・ケアンズは主に栄養状態の改善と住宅環境の清潔化が18世紀以降の寿命の延びに関与したと主張しています。人間は自分が死ぬことを知っている唯一の生物といわれ、大昔から不老不死を求めてきました。しかし、今後も寿命が延び続けていくかというと、人間の場合せいぜい120歳くらいが限度であると考えている研究者が多いようです。ある集団の中で最も長命の個体の寿命を最大寿命といいますが、人間の最大寿命は120歳くらいということになります(世界一の長寿といわれた泉重千代さんは120歳でなくなりましたがほんとうは105歳であったようです)。一般に動物にはその種特有の一定の最大寿命があるとされています。(ゾウ60〜80年、モグラ4〜5年、カメ100年、チンパンジー40〜60年)。人間の場合も生物として数百年数千年単位で進化するわけではないので最大寿命は昔からあまり変化していないと考えられますが、乳児期の死亡が減ったり、感染症でなくなる人が減ったりして平均寿命が延びてきたことになります。
 それでは動物の最大寿命は動物の種によってどうして大きな差があるのでしょうか。最大寿命の決定にはいくつかの法則があるようです。まず、性成熟との関係です。動物は生まれてから成長し、ある年齢に達すると性的に成熟し子孫を残すことが出来るようになります。昆虫のような無脊椎動物では生殖が終わると死んでしまうことが多く、霊長類(サル、ゴリラ、チンパンジーなど)では性成熟までの期間と最大寿命が比例関係にあるようです。どんな動物も子孫を残せるようになるまでの生命は遺伝子が保証しているということかもしれません。また、体の大きな動物ほど一般には寿命が長いといわれています。本川達雄「ゾウの時間ネズミの時間」によれば寿命、おとなのサイズになるまでの時間、母親の体内に留まっている時間、心臓が打つ間隔や息をする間隔などは体重の4分の1乗に比例する、つまり体重が16倍になると時間は2倍になるようです。一方、体重1キログラムあたりのエネルギー消費量は体重の4分の1乗に反比例するので、結局一生の間に使うエネルギー量は体重1キログラムあたりにすると動物の体のサイズにかかわらず一定になることになります。ネズミの時間は速く経過し、ゾウの体の中では時間がゆっくり流れているようです。ところで、性成熟までの期間と寿命は霊長類では比例するはずでしたが人間はこの法則にしたがっていません。つまり人間は子孫を残した後も長く生きる例外的な生物なのです。この生殖期を過ぎた後の期間が長くなるほど老化現象が問題になってくることを今堀和友は指摘しています(→老化とは何か)。

 老化と寿命(死)は別の現象と考える研究者も多いのですが、人間の場合老化と死が密接な関係にあることは間違いないと思われます。髪が白くなったり、皮膚にしわがよったり、筋力が衰えたり、老眼になったり、記憶力が衰えたりといった老化現象は個人差はあるにしても高齢になると大なり小なり現れてきます。これらの老化現象はどうして起こってくるのでしょうか。老化に関して重要な発見が1961年アメリカの生物学者ヘイフリックによって行われました。動物や人間の細胞を栄養液を含んだガラス容器の中に入れ保温しておくと細胞は分裂して増えていきます。この細胞培養の研究をしていたヘイフリックは人間の胎児の細胞は約50回分裂するとそれ以上分裂しなくなってしまうことを発見したのです。さらに興味あることに大人から取った細胞では約20回しか分裂しないことが分かりました。つまり、人間の細胞は一定の回数しか分裂できないわけで、細胞にも寿命があることが示されたことになります(ヘイフリック限界)。

 なぜ人間や動物には老化という現象や寿命があるかについてはいろいろな説があるのですが、大きく分けると「エラー説」と「プログラム説」に分けることができます。エラー説というのは、細胞が分裂を繰り返していく間に細胞の中(特に核の中のDNA)に間違いが蓄積していくために老化し死んでしまうとするものです。細胞が分裂する前にはDNAは複製されて2倍になりますが、この複製の際には一定の割合で間違った塩基が組み込まれてしまいます。DNAを遺伝情報として使っている生命はこの誤りを修復する機構を発達させてきましたが、それでも長い間には誤りが蓄積して細胞の機能が低下していく可能性があるわけです。エラーを増大させる原因もわれわれの周りにはたくさん存在します。放射線や紫外線、化学物質などはDNAに傷をつける原因となります。外界だけでなく体の中にも活性酸素という毒が常に発生しています。われわれ人間を含めたほとんどの生物はブドウ糖などの炭水化物を酸素によって酸化することによりエネルギー(ATP)を得ています。一方、酸素は還元されて水になるのですが、酸素が完全に還元されないと過酸化水素、スーパーオキサイド、ヒドロキシラジカルといった非常に反応性に富んだ物質ができてしまいます。このような活性酸素がDNAや細胞膜を傷つけ、細胞の老化や死の原因になっているという説も有力視されているのです。われわれは一時たりとも酸素がなくては生きていけないのですから、その酸素が老化や死の原因になっているとすれば皮肉な話です。

 「プログラム説」というのは老化や寿命はあらかじめ遺伝子の中にプログラムされていて、遺伝子はある時期になると働き出し老化が進み死に至る、というものです。われわれの一生は1個の受精卵から始まります。受精卵が何回も分裂を繰り返し身体の部分部分を作り上げていきます(発生)。誕生後は乳児期から幼児期、青春期を経て成人に至ります。この発生と成長の過程は遺伝子(DNA)によって厳密にコントロールされていると考えられています。人生の後半の過程である老化や死も遺伝子によってコントロールされているのでしょうか。老化現象が早められていると考えられる早期老化症といういくつかの病気があります。いずれも稀な遺伝性疾患なのですが、ウェルナー症候群という病気では20歳くらいで白髪になったり顔つきが老人のようになってしまい、白内障や動脈硬化といった高齢の人に多い病気が早期にあらわれます。これらの病気は人間の一生を単に短縮したものとは違う面も多いのですが、プログラム説を支持する証拠と考えられているようです。人間の細胞は50回くらいしか分裂できないという現象もDNAと関係があることがわかってきました。DNAは長いヒモ状の構造をしていますが、その両端にはテロメアといってTTAGGGという6つの塩基の配列が繰り返しています。このテロメアというものがあることによってDNAが安定な形に保たれているようですが、DNAが複製するたびにDNAの端の部分が複製されないため、このテロメアが少しずつ短縮していくことが分かったのです。そして、このテロメアがある程度まで短くなると細胞は分裂を止めてしまいます。テロメアはその細胞が分裂する回数を数えている時計のような役目を果たしていて、老化や寿命にも関係している可能性があるわけです。(ところで、クローン羊ドリーの場合には大人の羊の乳腺細胞の核を使っていますからテロメアは短縮しているはずで、その影響がドリーに出るのかどうかは興味のあるところです)。一方、癌細胞にはこの短くなったテロメアを延長する酵素テロメラーゼがあることが分かりました。テロメアが短縮から免れるようになったことによって癌細胞は永遠に分裂が可能になった細胞ということができます。「テロメアとその短縮」という機構によって老化や死がずべて説明できるかというとそう簡単ではありません。ヘイフリック限界というものが細胞をばらばらにしたうえ、ガラス容器の中という特殊な条件での観察であるということにも注意が必要ですし、人間の身体の中には神経細胞や心臓の筋肉細胞のように一生の間分裂をしない細胞もあるのです。ですから分裂しなくなったことがすぐその細胞の死を意味するわけではないのです。

 その他に老化の原因として、細胞内小器官であるミトコンドリアの老化を重視するもの、タンパク質の架橋(クロスリンク)による変性を重視するもの、免疫系やホルモン系の退化が原因とするものなど多くの説があり、研究者の間でも意見の一致はみられていないようです。

 ここまでの説明では細胞の老化や死を個体の死につながるものとして考えてきました。しかし、生物が生まれてから死ぬまでの一生の間にはいろいろな段階で細胞の死が重要な役割を果たしていることが分かってきました。やけどをした場合には皮膚の細胞が死んで皮膚がはがれてしまいますし、心臓の冠動脈がつまってしまうと心筋梗塞といって心臓の細胞が死んでしまいます。毒力の強い病原菌の感染を受けた場合にも細胞は死んでしまいます。このように細胞に大きな障害が加わった場合に細胞が死んでしまうことを壊死(ネクローシス)と呼んでいます。細胞にとっては不慮の事故死といってよい状態です。一方、細胞の死には自殺といってよい死があることがわかってきたのです。たとえば、オタマジャクシの尾っぽは成長するとなくなってしまいますが、この時の尾っぽの細胞の死はあらかじめ遺伝子によって決められて(プログラムされて)いた死と考えられ「プログラム細胞死」と呼ばれています。人間の場合も母親の子宮の中で胎児の身体が出来上がっていく過程でこのプログラム細胞死が必要なのです。胎児の手や足は初めおしゃもじのような形をしているのですが指の股にあたる部分の細胞がプログラム細胞死をおこして指が形成されていくのです。プログラム細胞死と同じように使われることのある言葉に「アポトーシス」という言葉があります。アポトーシスというのはギリシャ語で(枯れ葉や花が木から落ちる)という意味のようですが、通常の細胞死とは形態的に違った細胞死があることに気づいた病理学者によって1972年に名付けられました。通常の細胞死(ネクローシス)では細胞が膨張しついには溶解を起こし、その周りには死んだ細胞の後始末をするためにリンパ球や白血球が集まってきて炎症と呼ばれる現象を引き起こします。一方、アポトーシスでは核や細胞は凝縮し、アポトーシス小体と呼ばれる大小の小胞に分裂してしまい、炎症も起こさないのです。アポトーシスを「きれいな死」と呼ぶ人もあるのです。一旦気づいてしまうとアポトーシスは広く認められる現象であることが分かってきます。免疫細胞であるT細胞が胸腺のなかで選別を受け95%もの細胞が死んでしまうのもアポトーシスですし、脳の神経細胞も初め大量に作られた細胞のうちで他の神経細胞や筋肉細胞とうまくネットワークを形成できなかったものはアポトーシスをおこして死んでしまうこともわかっています。脳と免疫系というわれわれのアイデンティティを決定しているといわれるシステムが、いずれも一見無駄とも見える細胞死によって形成されることは大変興味深い現象です。大人になってからも細胞の死は日常的に起こっています。小腸の粘膜細胞や白血球は数日の寿命しかありませんし、血液の中の赤血球も平均120日で死んでしまいます。皮膚の表面の死んだ細胞が「あか」となることはよく知られていると思います。このように役目を終えて死んでいく細胞の数に見合っただけの新しい細胞が作られているからこそ、われわれの身体は維持されているわけです。ですから、成長して大人になった後も細胞は新しく生まれ代わっていますし、分裂しない細胞にしてもその細胞を構成している成分は入れ替わっているのです。役目を終えた古い細胞が死ぬのだけがアポトーシスではありません。ウィルスの感染を受けた細胞や、核の中のDNAに修復困難な異常が発生した場合にも細胞はアポトーシスを起こして死んでいきます。周りの細胞への悪影響を防ぐために死んでいく細胞があるわけです。通常の細胞死=ネクローシスが受動的な死であるのに対し、アポトーシスは能動的な死、覚悟の死ということもできます。このように、われわれの身体の中では生と死が共存している、あるいは多くの細胞の死によってわれわれの生が支えられているということが出来るわけです。

再び、個体の老化と死の問題にもどります。個体にとって老化や死が避けられないものかというと必ずしもそうではありません。単細胞生物である細菌やアメーバでは老化や死はないと考えられているのです。細菌やアメーバは細胞が2つに分裂して増えていくのですが、分裂回数に限界はなく、無限に分裂を繰り返していくことができると考えられています。単細胞生物でももう少し高等なゾウリムシになると老化という現象が現れてきます。ゾウリムシも2分裂によって増殖していくのですが、数百回の分裂をすると老化現象が現れて死んでしまいます。ところが、ゾウリムシが他のゾウリムシと接合という一種のセックスによって遺伝子の一部を交換すると、再び若返って活溌に分裂を始めることが出来るようになります。ゾウリムシはちょっと変わっていて、大きい核(大核)と小さな核(小核)の2つの核を持っています。この小さい方の核−小核−は普段のゾウリムシの生活の中では働いていないのですが、接合の際には減数分裂をおこして半数の遺伝子を持った半数体2個に分裂します。そして、半数体となった核の一個を相手のゾウリムシと交換し、新しい小核が出来上がります。一方、古い大核は消失してしまって、新しい遺伝子の組み合わせを持った小核から新しい大核が作られます。この接合というプロセスによってゾウリムシの老化時計はゼロまで巻き戻されることになります。

 老化や死は多細胞生物や性の出現とともに現れた現象と考えられていますが、ゾウリムシの接合はこの原型を示しているように思われます。われわれ人間を含めた多細胞生物の身体を構成している細胞は体細胞と生殖細胞の2種類に分けることが出来ます。生殖細胞というのは精子や卵子のことで次世代に遺伝子を引き継ぐためだけに存在している細胞です。皮膚、肝臓、脳などを構成しているその他の細胞はすべて体細胞と呼ばれます。これまで考えてきた細胞の老化や死という現象は実はこの体細胞に限った現象なのです。生殖細胞は受精というプロセスを経て子孫を作り上げていきますから、ある意味で不死の細胞ということが出来るわけですが、体細胞は個体の寿命と運命を共にして消滅してしまうことになります。ゾウリムシでは大核が体細胞、小核が生殖細胞に相当すると考えられ、接合によって1個の細胞のままで世代が交代し若返りを達成するわけです。しかし、古い大核は消失してしまうわけですから、やはり死が新しい生命の誕生に関係していることには違いがないことになります。

 ところで、多細胞生物はなぜ性を伴った生殖という戦略を採用するようになったのでしょうか。多くの動物や植物が有性生殖を行って子孫を残しているのにはそれなりの理由があるはずです。複雑な過程である減数分裂によって配偶子(精子や卵子)を作り、相手の配偶子を見つけて受精し子孫を作るというのは、2分裂にくらべ時間もエネルギーも使う作業なのです。有性生殖の利点の1つと考えられているのは多様性の獲得です。2分裂による増殖では分裂してできた2つの娘細胞はもとの細胞と全く同じDNAを持っています。一方、有性生殖の場合には、人間でいうと父親と母親から半分ずつDNAをもらいますから子供のDNAは親とは違ったものとなります。また、精子や卵子が作られる時には23対の染色体の中から無作為に23本の染色体が選ばれますからその組み合わせは2の23乗個という膨大な数になり、一卵性双生児を除けば兄弟はもちろん世界中に同じDNAを持った個人は存在しないことになります。このような多様性の拡大によって、環境の大きな変化や寄生虫に対する抵抗力が増すと考えられているのです。もし、ある集団が均一であれば環境の変化に対してその集団が全滅してしまう危険も大きいことになり、多様性はある集団の存続にとって有利に働いただろうと考えられるわけです。また、ある集団の中で有用な突然変異が別々に2つ出現した場合、有性生殖によって2つの有用な遺伝子を持った個体を産み出すことができることを重要視する研究者もいます。

 しかし、優性生殖による利点と引き替えに多細胞生物は個体の死も引き受けることになりました。多細胞生物はそれぞれの細胞が自分の役割を果たしながら1つの共同体を形成しています。1つの受精卵が何回も分裂を繰り返しながら、脳、消化管、筋肉や骨、心臓といった臓器が作られ、それぞれの働きをするように分化していきます。その中で生殖細胞は次世代に遺伝子を供給する役目だけを担って待機しているわけです。なぜ多細胞生物の個体が有限の生命しかないのか、の説明として「体細胞廃棄説」があります。「体細胞はいろいろな傷を受けるがこれらの細胞をすべて修復し続けるのには多くのエネルギーと栄養素が必要で生存競争には不利になってしまうので、多細胞生物は体細胞は使い捨て商品のように損傷を受ければ廃棄していき、ごく一部の生殖細胞のみを残して次代に生命を伝えていく」、とする説です。樋渡宏一は「動物はあまり働かせずに子孫のために遺伝情報を温存しておくためのDNAと、傷だらけになってもいいからせっせと働かせるDNAを分けておく方法を産み出した生物で、その結果、遺伝情報の保存という制約から解放された栄養系(体細胞)のDNAが高度な機能をはたすことができる自由度を獲得した」とし、「動物の性は繰り返し上映したために傷だらけになった名画のフィルムを、保存しておいたネガから新しくプリントしなおす働きをしている」と説明しています。また、ウィリアム・クラークは「生殖という営みの中にセックスという行為を取り入れることの生物学的優位性を完全なものとするためにはプログラム死が必要になる」としています。いずれにしろ、多細胞生物は不死を犠牲にしてそれぞれの細胞が分化した高度なシステムを作り出してきたということができそうです。

 生物の中で人間のみが自分がいつかは死ぬことを知っています。それだからこそ哲学、文学、科学などの高度な活動が生まれたとも言えるわけです。人間が死を恐れるのは、それが人格、意志、記憶などが個体の死とともに消滅することを意味するためと考えられます。これらは大脳皮質の働きによるもので、その消失を大脳皮質が恐れるわけで、大脳が発達した人間の宿命とも考えられます。しかし、生命は地球上に誕生してから途切れることなく、現在地球上に存在している生物にまで38億年もの間バトンタッチされてきたことになります。単細胞生物と多細胞生物ではその方法は違いこそすれ不死を達成していることになります。


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